日本に住んでいた2年間

2009年から2011年まで日本に住んでいました。その時は「JET 」というプログラムに参加して英語の先生としてでした。「JET」というのは、英語母語の国々から大学卒業者を日本まで連れてきて各地の学校で教えるというものです。

応募する時は、行きたい市や県を希望することが出来ますが、赴任地は違うことが多いです。私の希望勤務地は横浜市と福岡県と岡山県でした。横浜は出身のサン・ディエゴの姉妹都市なので、横浜を選びました。九州に行ったことがないので、福岡県を選びました。最後は、岡山県。岡山県にも行ったことがなくて、興味もあまりなかったけど、留学していた広島県の隣だから選びました。結局大失敗でした。

私の雇用場所はなんと新潟県の佐渡島でした!通知書を読んだ時は「えー。佐渡島はどこ?」と思いました。グーグルで調べたらわかりました。初めて行った時はとても驚きました。佐渡島はど田舎で、やることがあまりなくてどうしよと思いました。でも、もう決めました、せめて1年間はがんばるしかない。

他の外国人の英語の先生もいました。8人はアメリカ人、一人はオーストラリア人、全員で十人でした。いつも一緒に遊んでいました。同じ年の日本人はあまりいなかったけど、佐渡で日本人の友達を作ることが出来ました。遊ぶ時はほとんどはボーリングかバーに行きました。祭りがあったときももちろん行きました。たまに、新潟市も行きました。新潟市で映画を見たり買い物をしたりしました。

新潟市に行く方法は船しかなかった。空港があったけど、観光客が少なく閉じていました。ちょっと不便でした。

仕事は最初難しかったけれど、およそ3ヶ月間で慣れました。私は小学校と中学校で教えました。小学生はかわいくて、とても元気でした。休み時間に鬼ごっこやバスケをしました。たまに、かんちょうされましたT_T。クラスでは簡単な英語を勉強しました。色とか挨拶とかを練習して、ゲームや歌やダンスもよくしました。中学生がほとんど勉強のみですが、一緒にドラゴンボールやストリートファイターのマネをしました。それはすごく楽しかった。クラスではもっと会話的な英語を教えました。教科書にレッスンがいっぱい入りました。一つの中学校の陸上部と練習しました。走るのが大好きだから佐渡島でマラソン大会に出ました。

その1年間頑張りました。佐渡島や先生のことも慣れたから、契約を1年間延長しました。

2年間佐渡島で英語を教えました。いい親友も作りました、アメリカ人も日本人も。佐渡島の生活をよく分かってきて、素晴らしい景色を見て感動しました。帰る前にちょっと泣きました。でも、コンピュータの仕事に戻りたいという気持ちがあったので、仕方なく母国に帰りました。

帰国した後驚いたことに、佐渡島の空港が再開しました!笑

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